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DL-MARKET 被災地支援チャリティー終了のおしらせ DL-MARKET 被災地支援チャリティーは2011年6月30日にて終了、7月5日に日本赤十字社あてに振込が完了のとことです。ご協力、ありがとうございました。 リンク先をチャリティー用から、通常購入用へ変更します。 2011.8.1:追記 【電子本を読んで、被災地を支援しよう!】 【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】 ※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。 ※ DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画の詳細。 http //support.dl-market.com/charity/index.html ※ 寄付金額はチャリティー終了まで、随時公表いたします。 ※ 義援金の用途に関しても極力、ウォッチしてお知らせします。 ※ みなさまのPRがこのチャリティー支援の大きな力となります。もし可能でございましたら、Twitter やHP、ブログ等でご紹介いただけますと幸いです。 みなさまのご協力を、こころよりお願い申し上げます。(しだ) M-Tea*3_38-春雪の出羽路の三日 喜田貞吉 2011.4.16 第三巻 第三八号 春雪の出羽路の三日 喜田貞吉 思いのほかの雪中旅行 / 箱雪車(はこぞり)とモンペ / 後三年駅 / 江畑新之助君 / タヤとラク / 防壁と立薦(たつごも) / 雪の金沢柵址 / 金沢八幡社のお通夜 / 仙北の俘囚(ふしゅう) / 山形泰安寺——秋元家の巾着寺 / 庄内の獅子踊りと神楽、サイドウ / 山形県の史跡調査について / 山形城址 / おばこ踊り / 羽黒の裸祭 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第三八号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/134145) ※ クリックすると購入サイトへジャンプします。 ※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。 (716KB) 定価:200円 p.174 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(103項目)p.602 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 飛び出せ! 週刊ミルクティー* 昨年〔大正十一年(一九二二)〕十一月にはじめて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っているおりから、山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式がおこなわれるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言ってこられた。これ幸いと、さきにご厄介になった庄内の阿部正己君に、同地方遺跡踏査のご相談におよぶと、このころはまだ雪が深くてとてもダメだとのお返事だ。冗談じゃない、こちらではもう桜が咲きかけているころだ。同じ本州のうちでも奥羽地方となるとそんなにまで様子が違うものか、これは一つ、遺跡踏査よりも雪の春景色を見たいものだ。それには庄内方面よりもいっそう雪の深かりそうな羽後の仙北地方がよかろう。かねて見たいと思っている後三年の役の遺跡・金沢柵址を、雪の中に見てまわるもおもしろかろう。ついでに、久しくお目にかからぬ紫水生・深沢多市君をもお訪ねしたい。(略) 十二時すこし前に後三年駅で下車すると、改札口に深沢君が待っておられる。(略) 自分らのソリの通っている下はことごとく水田で、道路も用水路もかまわず、好きなところを好きな方向に、勝手に道を作ってその上を進んで行くのだ。農夫は朝早くからソリで肥料を運搬して、各自、自分の地面と思うところへそれを分配している。まちがえて他人の地面に置いて行くことはなかろうかと、他目には案じられるが、遠方の立木や山などの見通しで見当をつけて、自分の地面をまちがえるようなことは決してないそうな。なんでもこの雪国では、雪の上の交通を利用して、その期間になるべく物を運んでおくのだという。材木を載せたソリ、砂利を載せたソリなど、いくつも縦列をなして通っている。土木工事の材料を、今のうちに軽々と運んでおくものらしい。雪の多いときには、一人で十数俵の米を運ぶのも容易だという。他所にあって考えたときには、雪に閉じこめられた地方の人々は、さだめてその期間禁足の憂き目を味わって、薄暗い家の中にのみ数か月間を閉じこめられているのかと気の毒にも思っていたが、その時がかえって交通に至便なのだとは、雪にもやはり利用の道があるものだ。 阿部正己 あべ まさき 1879-1946 阿部正巳。山形県飽海郡松嶺生まれ。北海道史編纂委員、山形県史跡調査員。著『川俣茂七郎』『伊藤鳳山』『出羽国分寺遺址調査・付・出羽国府位置』他。(『山形県関係文献目録〈人物編〉』『新編 庄内人名辞典』『松山町史 下巻』) 深沢多市 ふかさわ たいち 1874-1934 『秋田叢書』の編者。号は紫水。秋田県仙北郡生まれ。1899年(明治32)仙北郡役所に入り、次いで秋田県属、宮城県属、京都府属を歴任、京都府熊野郡長を最後に退官し、1921年(大正10)帰郷。この間、『秋田県史』(大正版)の編集に加わり、京都で喜田貞吉の知遇を得、また柳田国男と交わりを深くした。帰郷後は秋田県の県史蹟名勝記念物調査委員を嘱託。 3_38.rm (朗読:RealMedia 形式 548KB、4'26'') milk_tea_3_38.html (html ソーステキスト版 260KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』平凡社 1980(昭和55)年8月25日 初版第1刷発行 初出:『社会史研究』第9巻第6号 1923(大正12)年6月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:212(日本史/東北地方) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc212.html NDC 分類:915(日本文学/日記.書簡.紀行) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc915.html 難字、求めよ 有吉君 山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の理事官。 新墓 しんぼ? スノーセット 金沢八幡社 金沢山八幡神社か。 車駅 経塚山 糸ナデ 石器。 血穢 大正村西松本 大和御所町。現、奈良県御所市。 前川増吉 『金沢史叢』 丹彩 『後三年絵巻』 『後三年合戦絵詞』か。 ニガタ節 金沢氏 歌かがい うたかがい? 民夷 蝦狄 泰安寺 山形。 山形ホテル もと秋元家の泰安寺の跡。 就封 襲封(しゅうほう)か。 サイドウ 柴灯・斎灯か。 松嶺町 まつみねちょう? 大沼 飽海郡松嶺町。 棒方 ぼうかた? 松嶺の本町・新町 三叉鉾 疫送り えきおくり? 病送(やまいおく)り? 布及 普及か。 千歳亭 四山楼 酒田山王山 細谷則理 羽後平鹿郡。 加藤将義 高橋栄 むしとりホイホイ 座敷団 → 座蒲団(ざぶとん)か。 加藤(直純) → 伊藤直純か。 川辺郡 → 河辺郡(かわべぐん)。 御物川 → 雄物川(おものがわ)。 いずれも本文は修正せず、編注をほどこした。 文中の「土人」もそのままとしました。 ほかに、 這入って → 入って 荘内 → 庄内 を、右辺に変更。 年表 七二九〜七四九(天平年間) 出羽・陸奥南部の蝦夷を征して雄勝の道を通じ、最上郡からただちに御物川〔雄物川〕の上流に出る。 八七七〜八八五(元慶) 当時なお仙北の地には、少なからず生蕃がいた。 八八〇(元慶四) 出羽の国司、上言。これに対し、勅して一年の復を賜い、不動穀六二〇〇石を三郡の狄俘八〇三人に給した。 九〇一〜九二三(延喜)前後〜 地方の政治はなはだしく紊乱。奥州においては蝦夷の族勢力を回復して、いったん設置した郡までが夷地に没入する。 一〇五一〜一〇六二 前九年の役。源頼義・義家父子が奥羽地方の豪族安倍頼時とその子貞任・宗任らを討伐した戦役。平定した1062年(康平5)まで、実際は12年にわたって断続。後三年の役と共に源氏が東国に勢力を築く契機となる。前九年合戦。 一〇八三〜一〇八七 後三年の役。奥羽の清原家衡・武衡と一族の真衡らとの間の戦乱。前九年の役に続いて1083年(永保3)より87年(寛治1)の間に起こり、陸奥守源義家が家衡らを金沢柵に攻めて平定。後三年合戦。 一一八九(文治五) 源頼朝の奥州征伐。 一六〇四(慶長九) 佐竹義宣、社殿改修の時の棟札に「出羽国六个郡之鎮守」。 一六二二(元和八) 最上氏改易。 一六六四(寛文四) 郡名整理。おおいにその実際を誤る。 一七六七(明和四) 秋元家、武州川越から六万石で山形に移る。 一八四五(弘化二) 秋元家、上州館林に転じる。水野家、五万石で浜松から山形に転封。 一九二二(大正一一)一一月 喜田貞吉、はじめて出羽の踏査に着手。 一九二三(大正一二) 喜田「庄内雑事」『社会史研究』一月号。 一九二三(大正一二)一月二八日 大和御所町における差別撤廃講演。 一九二三(大正一二) 山形県史跡名勝天然記念物調査委員会の開会式。 スリーパーズ日記 司馬遼太郎『街道をゆく 26 嵯峨散歩、仙台・石巻』(朝日新聞社、2005.4)久しぶりに読み返す。仙台の旅を、司馬さんは阿武隈川の河口・荒浜から始める。 入りそめて 国ゆたかなる みぎりとや 千代とかぎらじ せんだいのまつ 政宗 チャリティー状況(2011.4.24 現在) 出品数:2個 販売数:0個 売上金:0円 です。 2011.4.24:公開 八面玲瓏。 2011.8.1:更新 サンシュユ、レンギョウ、スイセン、ムスカリ、ハクモクレン。 ♪わたしたち、お別れなんですね…… 目くそ鼻くそ、おおいぬの陰嚢。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - NDC 分類の URL が間違っていたので、修正、ファイルをさしかえました。 -- しだ (2011-04-25 00 18 52) 復興構想会議のページを見るも、議事録が見あたらない。 -- しだ (2011-04-25 12 39 56) 名前 コメント
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『喜田貞吉著作集』12・13・14 目次 『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』 目次 I 斉東史話 自序 年号と治世の号 縁結びの神 道祖神を縁結びの神ということ 道祖神と生殖器崇拝 縁起のうそ 善光寺の阿弥陀如来 本田善光 善光寺如来仏座の位置 善光寺新仏の御歌 徳川幕府僧侶女犯禁止の励行 公家の人口調節と出家得道 蔭子・蔭孫と華族制度 知らぬが仏の昔の国際関係 倭奴国と倭人 自己尊大の国 建国以来の氏子 建国以前の旧家 長髄彦の子孫 それは清衡公に聞いて貰いたい 我々アイヌの後裔なる奥州人 合の子民族 複成民族たることの誇り 腹は借り物、腹は畠 他種族を毛嫌いせぬ日本民族 日本民族の包容性 隼人を犬ということ アイヌの祖先は犬ということ 北海道のアイヌと奥羽の蝦夷 伊勢参宮を三度すれば蝦夷も日本人になる 外ガ[#「ガ」は小書き]浜の狄爺那となる うそしても蝦夷語言うな宇鉄村 いずれも同じ日本人 いわゆる美人系 家柄と血統 北越・奥羽は美人系 アイヌは白人系か わが古代を見んにはまず琉球を見よ 沖縄の文化と山原美人 毛の多い日本人 アイヌ族と日本民族との歩み寄り お種頂戴 アイヌの血 蝦夷の内地移住 内地移住の蝦夷の末路 エミシを一人、百な人 いみじき盗賊 サムライ(侍)と武士 武士とエビス 忠勇なる武夫 マット狢 武士道に関する一考察 武士と系図 系図の尊重 系図の穿鑿 成り上りと成り下り あてにならぬ系図 名家の仮冒 秀吉は系図仮冒の親玉 さすがに正しい公家の系図 パパとママ 汽車から落ちた 男親をチチと呼ぶ邦語 オヤと言えば母 女ならでは夜の明けぬ国 千二百年前の市民の投票 米糞上人 数理 他人の土蔵を博奕のたて物 昔の人の見た商人 出入商人の奸策 百姓 大みたから 徒党 犯人捜索と手形 犯人捜索と三輪山伝説 血液型による親子の鑑定 名称の変更 君と公 「おまえ」と「御前」 「正親町」の読み方 細君の異名 オンボウ(御坊) ハッチ坊主 用心棒 湯屋と風呂屋 汚穢忌避の習俗と浴湯の発達 湯屋の発達と温泉との関係 「猪」と「鹿」と「しし」 肉食禁忌の風習 血の穢れと肉の穢れ 牛膓祭 隠し念仏 大仏は奴隷血肉の結晶ということについて 「道鏡皇胤論」について 京間と田舎間と奈良間 仏像の反射する魔鏡のこと 現状維持 東京の地価 歌人いながらに名所を作る 坊ッちゃんと坊んさん わが上代の祓 アイヌのツグノイ 僧侶の白衣 朝鮮の白丁 紀伊に多い「何楠」という人名 手長足長 手長と膳夫 土師部と粘土採掘権 百姓は猥りに米を喰うべからず 河屋 II 隠岐日記 はしがき 夜見ガ[#「ガ」は小書き]浜 境から美保へ 美保神社 地蔵ガ[#「ガ」は小書き]崎 美保の一夜 隠岐への海上 島前と島後 西郷の一昼二夜 津戸への恐ろしい波の上 津戸の二昼夜(上) 「わに」と「みち」 津戸の二昼夜(下) 黒木御所の跡という山 奈良・高野・和歌山六日の旅 春日の神鹿 菩薩の称号 太子奉賛 平城宮址保存 遺物蒐集家 高野登山 汚穢不浄之者入門不許 明王院の赤不動 高野の谷の者 霊宝館の古書展覧会 聖徳太子の御墓探し 太子に対する贔負の引倒し 三家者と連寂衆 和歌山の一昼夜 庄内と日高見 はしがき 庄内三郡 田川郡と飽海郡、出羽郡の設置 大名領地と草高 高張田地 本間家 酒田の三十六人衆 出羽国府の所在と夷地経営の弛張 出羽国分寺の位置に関する疑問 これは「ぬず」です 奥羽地方の方言、訛音 藤島の館址——本楯の館址 神矢田 夷浄福寺 庄内の一向宗禁止 庄内のラク町 庄内雑事 桃生郡地方は古えの日高見の国 佳景山の寨址 館と柵および城 広淵沼干拓 宝ガ[#「ガ」は小書き]峯の発掘品 古い北村 姉さんどこだい 二つの飯野山神社、一王子社と嘉暦の碑 日高見神社と安倍館 天照大神は大日如来 茶臼山の寨、桃生城 貝崎の貝塚 北上川改修工事、河道変遷の年代 合戦谷附近の古墳 いわゆる高道の碑 春雪の出羽路の三日 思いのほかの雪中旅行 箱雪車とモンペ 後三年駅 江畑新之助君 タヤとラク 防壁と立薦 雪の金沢柵址 金沢八幡社のお通夜 仙北の俘囚 山形泰安寺 荘内の獅子踊と神楽、サイドウ 山形県の史蹟調査について 山形城址 おばこ踊 羽黒の裸祭 大正乙丑宇鉄遊記抄 前記 寛文ころの諸狄村(上) 寛文ころの諸狄村(下) 舎利石 昆布納屋 地方に上下ということ 宇鉄の珍らしい石器時代遺物 宇鉄での聞書きいろいろ 裏切られた予想 熟蕃の娘を見て下さい 宇鉄の酋長四郎三郎アイヌ 長門屋伝四郎 イタコの祈祷 龍馬山義経寺 アイヌが何だ 外ガ[#「ガ」は小書き]浜づたいに青森へ 佐渡視察記 はしがき 大八洲の一としての佐渡 佐渡の地形とその国名 奥床しい夷町の名 武士道的な佐渡人の気風 えぞ船、えぞ言葉 御前様 石油ランプ 本間周敬君所蔵の土面 山本半蔵君の玉斧 石鏃の形態とその新古 佐渡の石器時代土器 佐渡の考古学界 真野陵参拝 豪族の館址 国分寺址 三宮貝塚 性の神、子王大権現 道祖神と性の神 石棒と凹み石 鼠除けの護符 佐渡のホイト 靴をケリといったことについて(追記) 底本:『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』平凡社 1980(昭和55)年8月25日 初版第1刷発行 入力:しだひろし 校正: xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 『喜田貞吉著作集 第一三巻 学窓日誌』 目次 『民族と歴史』 大正八年 第二巻第五号 遠州平田寺 相良の鈴木文書 吉田博士の建碑式 温故堂坂兼治郎君 津雲貝塚発掘史 第二巻第六号 神武天皇高島宮址 田島の骨畠 呉郷文庫 葛城地方の古代 伊那の史料展覧 大本願と大勧進 お手長様 嗚呼田中先生 第三巻第一号 百姓の次三男が従五位殿 「善光寺草創考」 七福神の賊 史学研究会大会 読史会大会 摂津大掾 対馬の石塚 第三巻第三号 「善光寺草創考」下 小松原英太郎氏の薨去 南北朝問題の回顧 大正九年 第三巻第三号(承前) 興津の歳旦・潮花の行事 箱根登山鉄道 箱根強羅遊園地 シベリアの石器時代 第三巻第四号 社家の有官受領禁止 岩井雍南君の『日本古建築精華』 関西考古会 『土俗大観』 乳の欲しい人 第三巻第五号 何事もてての種じゃ由って—宗源宣旨 故富岡謙蔵君の『古鏡の研究』 『古墳発見石製模造器具の研究』 大和宇智郡の初踏査 栄山寺 第三巻第六号 阿※[#「こざとへん+施のつくり」、第4水準2-91-67]の鵜養と鬼筋 宇智の地方と隼人の旅 病間の黙想 『炉辺叢書』 『考古図集』 『土形・弊岐 蓁原君考』 亡き父の追懐 第三巻第七号 一家族同穴の墓 亡き姉の十七回忌 文禄朝鮮役の捕虜 ドイツ人クゲルさん 史学会大会 最後の文学博士会 聖徳太子奉賛 皇陵巡拝団 人類・考古・土俗に関する写真集の発行 図書館から図書局へ 『中央史壇』 時代風俗劇 銅鐸発見 第四巻第一号 鷹司鶴洲夫人遺愛の箪笥 律田敬武君の『神道起原論』 神戸史料展覧会 満鮮見物 再び摂津大掾 第四巻第二号 大本教 大漁—鉢巻の風習 第四巻第三号 華族の数 宮古島の抱き合い遺骨 金田一君のアイヌ人及びアイヌ語研究 蘆原温泉 若狭の細工村 第四巻第四号 盆踊 六斎念仏踊 第六巻第二号 珍らしい石器 御殿場在の神楽神子 浜村温泉 埴輪によくある古い形式の家作り 滝中菊太郎君 泊温泉 正倉院拝観 アイヌに関する講義聴講 舞子貝類館訪問 大正一〇年 第六巻第二号(承前) 飛鳥発見新酒槽の行衛 日本語の数詞 玉造温泉 出雲言葉 大社参詣 本山氏蒐集品 都巽軒和鏡展覧 倉光清六君 新しい踊念仏 宇治の県祭 神代史上の新発見 第六巻第四号 のろ汽車 日本語とシナ語、松村博士の『溯源語彙』 三田尻講演 防長地方の古代 穴門と長門 防府めぐり 防府の車塚 俗伝琳聖太子の塚 牟礼の鉢巻岩、豊島農園 千葉の講演 房総地方を主としたる上代の東国 飯野の古墳見学 「道鏡皇胤論」 鵯越と一の谷 第六巻第五号 馬鹿囃と大神楽 特殊部落解放運動 大江天也氏逝く 第六巻第六号 淵瀬常ならぬ飛鳥川 衣ほすてふ天の香久山 犬車 万燈会 飛騨の代官および郡代政治 耶馬台国 挙母行の軽鉄 実地踏査のお流れ 三河のあるササラ部落 新羅王陵の発掘 長沼賢海君の「夷神考再考」 第七巻第一号 正倉院拝観 鳥見の邑から富雄村へ 「てには」の「の」の存亡 生駒の聖天様 生駒山から志貴山へ 生駒と日下 瓢箪山稲荷大明神 熊野田楽 蘇我蝦夷・入鹿父子の墓 葛村という新村名 鉱石運搬より材木運搬へ 巨勢寺塔礎 安曇仙人と龍門寺 石棺の珍らしい埋没状態 本山氏邸の考古品展覧 広筋と狭筋 古代学の泰斗喜田博士—浜名湖畔の不思議な窟屋 橘園喜多貞吉君 肥前にドルメンの発見(?) 消防の今昔 弘法大師の入定説と火葬説 第七巻第二号 大阪茶臼山古墳 主義者 長沼君の「夷神再考」の続き 偽書『先代旧事本紀』 龍門寺の所在 大正一一年 第七巻第四号 耶馬台国の研究 湖南博士の日本文化観 六甲苦楽園 お座敷人形 岩が平古墳群 六甲山と甲山 厄神祭 『金森氏雑考』 ジョッフル元帥歓迎 史蹟考査に関する珍事件 内地におけるアイヌ族の末路 地獄線まわし 黄金の力 産児制限 同胞差別撤廃大会 望月の歌 水平社創立大会 第七巻第五号 大名領地図脱稿 『愛に満てる世を望みて』 同居同火を忌むことの由来 いわゆる部落民の数 昔の警察 賤民の家人と武士の御家人 茶漬 お摂待—四国遍路 案じられる幾日 阿波にアイヌ遺蹟の新発見 第七巻第六号 大名領地図納付 平等会 間引村 悲しき日 講組と氏族 産土神と氏神 本家と小家 偕老同穴 第八巻第一号 夷と鬼 南葛めぐり 森田氏蒐集発掘品 「後淡海宮御宇天皇論」 「親鸞聖人筆跡の研究」 勿体なや祖師は紙衣の九十年 京大創立二十五年記念会 「国分寺建立発願の詔勅について」 王さん屋敷 第八巻第二号 森鴎外博士逝く 僻地に遺れる大家族制 祇園祭の山鉾行列 『法然上人行状画図』 今西伊之吉君逝く 何某は部落民なり 清野博士の古代人骨調査 再び「後淡海宮御宇天皇論」について 第八巻第三号 いかもの喰い 雑誌『水平』 水平社と本願寺 浜田博士の『通論考古学』 第八巻第四号 親鸞聖人の研究 亡き母の初盆 故樋口杏斎先生 阿波の盆踊 池田町の古代住居跡 中庄八幡宮の盤境 性の神お花大権現 徳島旧城山岩窟内の遺蹟 子無税 童子と山人 氏神祭 第八巻第五号 阿花大権現の詩 内田博士の胸像除幕式 本朝相撲沿革史の編纂 長柄豊崎宮 『教行信證』に関する辻博士の講演 東大史学会大会 日蓮上人大師号宣下 全国学生雄弁大会 辻博士の講演について 第八巻第六号 善人尚以て往生す、況や悪人をや 大江山鬼退治祈願 病気透明不思議の施術 軍港見学 官幣大社丹生川上神社 伊勢人はひが事しけり 飛鳥地方史蹟案内 『大阪府全志』成る 同情と慈善 苦しかった大津講演 化石人骨発見の報 『社会史研究』 大正一一年 第九巻第一号 山形・宮城両県下旅行 新庄在の珍らしい土偶 龍巻 多賀城碑論の「弁妄」 石器時代遺物・遺蹟の研究 多賀城址の踏査 親鸞聖人と『教行信證』 『日本古建築精華』の完成 秦人と銅鐸 論戦遊戯 梅原真隆氏の『教行信證』誤読観 職人気質 第九巻第二号 仏像の首級 妻求ぎの願文 大正一二年 第九巻第二号(承前) 年始状 労働者の産児制限 佐野学君の『日本社会史序論』 雑誌『水平』第二号といわゆる水平運動 差別待遇に関する不平の声 斎瓮と土器・陶器 差別撤廃講演 第九巻第三号 志納金 人買いと監獄部屋 厄除の参詣者と吉田大元宮 『教行信證』問題 大和史談会生る 謝罪広告—エタという語 西本願寺蔵『教行信證』の複製本 『教行信證』に関する本多君の弁明 宇和島の鹿の子踊 豊橋鬼祭の田楽 殺生の徒 第九巻第四号 明石史談会 盛大なる本願寺の葬儀 純日本研究会 悪という姓 全国水平社大会 瀬田村の半日 医学博士と開業医 辻博士の『教行信證』に関する再駁 「誤読」と「読み方の相違」 草書の字体と五音相通 大和史学会発会式 鹿を逐う猟師山を見ず 世間の噂 第九巻第五号 『雅楽堂鶏肋集』巻一 因襲打破の建議案といわゆる特殊部落名称の問題 士族称号存否の問題 武士と特殊民 金爵結婚と金権結婚 水平社と国粋会の衝突 春雪の出羽路の三日 阿波に珍らしい石敢当 天王山裏山の古墳 河原の者 修行者と舞踊 顔役への貢ぎ金 難波文化史蹟展覧会 本多君の「教行信證の撰述者に就いて」の講演 例の『教行信證』誤読問題 部落民と残忍性 士族会と水平社 最後のシャア部落 第九巻第六号 古伝の堙滅と後世の誤解 この写真はあなたによく似ている 杉浦丘園君の糸印 児島高徳存否問題 真宗開宗七百年紀念大法要 島原の大夫の道中 山村の開発 水平運動に対する誤解 いかにして世人を理解せしめんか 時勢の変 華族求婚 いわゆる北越の一邪人 神泉院の大念仏無言狂言 南葛めぐり第三回 朝鮮の衡平社 「今上」の「今」の字 「教行信證新研究号」 歴史眼と教理眼 信仰の衝突と女犯の問題 『教行信證』の代作者か 第一〇巻第一号 琵琶湖底から奈良朝の古銭 山東土匪の横行 禿氏祐祥君の『教行信證考證』 本願寺と一向衆堂 西仏と大夫房覚明 『教行信證』の後序原訓の解釈 神経過敏 日本青銅文化の起原 東亜の探究は鳥居博士の独り舞台 学者の自重と宝の持ち腐れ 謝罪状 親鸞聖人『往生論註奥書』の読み方 蕃人と高砂族 『鉢の木』の史蹟争い 売文 祖師に対する敬語 第一〇巻第二号 説教僧 末子相続 痘痕も見様で笑窪に見える 『教行信證』に関する論戦とその批判 西本願寺の賽銭開き ルソンにおける日本人の後裔(?) 女系相続 人さまざま 国民研究会と『国民運動』創刊号 「魏末高斉之初」の解 再び大夫房覚明と西仏 奥羽北海道方面の視察旅行 電報の読み違い 第一〇巻第三号 奥羽北海道方面の視察旅行 アイヌのメノコ鍋沢ユキ子嬢 『穢多族に関する研究』 相模の国分寺址踏査 夏の高野山 高野の谷の者 粉河寺参詣 桑原子 第一〇巻第四号 生夷谷の懐古 川面凡児君 水平社と国民研究会 日高のアイヌ平村金太君 浜口熊嶽君 ポンソンビ・リチャード君 鍬形調査 小出寿之太先生 堺の妙国寺 淡路の四日 松前子爵の宝探し 底本:『喜田貞吉著作集 第一三巻 学窓日誌』平凡社 1979(昭和54)年8月25日 初版第1刷発行 入力:しだひろし 校正: xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』 目次 I 六十年の回顧 序言ならびに凡例 喜田貞吉略年譜 過去六十年の概観 発育不完全なる畸形児 感謝の六十年 わが生家のことども わが父のことども わが誕生と墳墓 負んぶして小学校へ 杏斎樋口先生のことども 懶け通した中学時代 一ヵ月の学資金三円なり 月給取の生活 第三高等中学校入学 「ヘイ」と「ハイ」から方向転換 三高在学中のことども 帝大入学と専攻学科の選択 帝大在学中のことども 学士の肩書切売の五年間 二足の草鞋 国定教科書の編纂 法隆寺建築年代論 平城京址の研究 学位受領 南北朝正閏問題 国定教科書に対する論難攻撃 問題の政治化 国定教科書の改訂 南朝正統説は既決の問題 生活更新 個人雑誌の発行 民族研究熱の高潮といわゆる特殊部落の解放運動 大名領知の調査、内田博士のこと、その他 東北帝大勤務中のことども 還暦祝賀記念会 旅行 論文著作年譜 後記 II 震災日誌 大正一二年九月一日—六日 土塵濛々 地震よりも恐ろしい火事 夜中の情況視察 放火の警戒 食糧の心配 待ちかねた横浜の消息 嬉しき便り(一) 嬉しき便り(二) 見たものでなければ想像の出来ぬ惨状 震災後記 大正一二年九月七日—一〇月一八日 III 随筆日録(一)(『歴史地理』所載) 大正一三年 第四三巻第三号 『社会史研究』と『歴史地理』との合併 原勝郎博士逝く 崇福寺と梵釈寺 北山十八間戸 奈良地獄谷の石仏 萩野由之先生逝く 第四三巻第四号 アイヌ語地名解 神前の供物と仏前の供物 大名領地図の完成 第四三巻第五号 法皇山の横穴群 石器時代民族の厚手派と薄手派ということ 第四四巻第一号 羽後仙北の竪穴群 その後の銅鐸説について 第四五巻第三号 平城宮址の保存工事 平安京大極殿址は共同便所 大唐平百済碑 大正一四年 第四五巻第三号(承前) 誕辰状 学窓日誌(『東北文化研究』所載) 昭和三年 第一巻第一号 東北遺物展覧会 お大名道具 福島県の古墳発掘 菅江真澄翁百年祭と角館史料展覧会 武家任官辞令の一型式 東にあっても北家 角館城址 小館 生保内竪穴 道祖神 田沢湖 銅鐸発見 蕨手刀 丹生川上神社三社 平城宮址の一新発見 第一巻第三号 宇陀から吉野ヘ 四ヵ所の鳥見 榛原の鳥見 いわゆる霊畤址 霊畤址考証の困難 丹生川上の旧蹟問題 鬼筋 足立と篠野 高倉山と高見山 宇賀志村と穿邑 丹生川上中社 丹生川上の親祭地新蹟 鳥見霊畤址新蹟 いわゆる伝説地について 国樔の翁 宮滝吉野郡院説 三十六町一里 吉野離宮と宮滝 宮滝の絶景と新発見の遺蹟 便利な世の中 考古学大会 国樔の沿革と蝦夷の末路 移住者の行く末 第一巻第五号 日出谷の石器時代遺蹟 日出谷という地名 名家の落胤 古銭発掘 南蒲原郡五十嵐神社の館址 南蒲原郡見聞雑事四則 ※[#「王+夬」、第3水準1-87-87]状耳飾と金環とニンガリ 珍しい大石槍 中頸城地方見聞雑事六則 文化小屋 荒陵山の石棺蓋 山形県郷土博物館 大石呉公君 山形県郷土研究会と庄内史談会 光丘文庫 旅行中恒例の小失策 青森県下の五日 偶然の暗合 第二巻第一号 子の出来る湯 蝦夷の遺※[#「((山/(追−しんにゅう)+辛)/子」、第4水準2-5-90]の村 ツチヤマキ 日本民族起原の一観察 大山史前学研究所 九州における俘囚安倍氏の遺蹟 アイヌ一行の災厄 昭和四年 第二巻第一号(承前) 東北文化会 怒ろうにも怒らりゃせん 実兄夫婦の金婚式 石原呉郷君所蔵の銅鼓 京都市の増区実施と左京区の名 いわゆる特殊部落と仏教、特に念仏宗 石器時代の植物性器具 銅鐸に銘文 第二巻第二号 柳田君の「人形とオシラ神」 オシラ神と夷の神 障らぬ神に祟りなし 有銘銅鐸(再び) 煙草飢饉 第二巻第三号 亀ケ岡出土土器 『日本案内記』 オシラ様の御神体調べ オシラ遊び 福岡市崇福寺所蔵銅鐸 根津氏蔵品拝見 その後の銅鐸に関する新発見について 第二巻第四号 『日向国史』の印刷 佐々木喜善君 本州における蝦夷の末路 米沢藩の屯田組織 貨幣のない時代 ヤップの石貨とアイヌの宝物 忘れられやすい古代文化 『広西両宮記』 地方官大更迭 阿波訛り 『日向国史』印刷の行悩み 名誉社友推薦 無茶な漢字制限 是川村遺蹟の新々発見 珍しい七戸在の竪穴 オシラ神像の原始型 イタコの市 津軽狄村所載の絵図 津軽浪岡の朱塗異形の櫛 文字ある石皿 モダンオシラ 石鏃の形とその数の割合 アスファルト坑内の土器 増村卯吉君 庄内高畑出土の編物漆器 第二巻第五号 手向百穴出土の漆器 尾浦城址の木柵発見 高橋健自君逝く 宮崎・福岡地方の十一日 昭和五年 第二巻第五号(承前) 蝦夷村と言われた久喜、小袖 血液型による民族的および団体的研究 『日向国史』出版完成 飛鳥浄見原宮址 春日の御田植祭 東北大学学生上方見学 時田館ほか数館視祭 遺物の鑑定 横川目での見聞雑記 山野菜のいろいろ 愛宕山館 五十集屋 火葬の塚とその石棺 払田柵址 払田柵はなにものか 払田柵と答甲城 庄内地方の柱根 尾浦城門址の木柵 陸前三本木方面の遺物・遺蹟 奇禍 死に関する所感 菓子よりも砂糖、砂糖よりも金 随筆日録(二)(『歴史地理』所載) 昭和七年 第六一巻第四号 鳴子考古品陳列館 石器時代の穴蔵 沼館の好適例=四十二館 是川遺蹟記念館 隠し念仏 第六一巻第六号 平館の一例=津軽飯詰館 酒井忠純氏蔵珍土器 板井のいろいろ 独木舟の埋没 陰石 アスファルトの膠着せる石鏃 男女の両性をあらわした土偶 ケットの調査報告聴取 昭和八年 第六二巻第一号 田中光顕伯訪問 第六二巻第二号 直弧紋を描出した盾の埴輪 飛鳥の石葺 僧侶の妻帯禁止 小楠公遺詠の証明書 女人解放の高野山 第六二巻第三号 常成梅 弥彦神社 石船柵址踏査 念珠関と都岐沙羅柵 第六二巻第五号 天満獅子 独木舟廃物利用の謎 山形の印役神社 還暦記念六十年の回顧 今は隠さぬ隠し念仏 奥羽地方における各時代文化遺物の共存 骨製青龍刀形石器時代遺物 鹿角の初視察 風張の一円墳と小竪穴 野中堂のいわゆるストーンサークル 猿賀神社参拝(田道戦歿之地) 小枝指館その他 枯草木坂の古墳 泉森発掘の刀剣 第六三巻第二号 上越鉄道沿線の初踏査 護国の神と五穀の神 陰石、陽石 第六三巻第三号 石器時代石葺住宅址 竪穴から土師器と縄文土器 飯綱山石器時代遺蹟 余川古墳群 ヒナタ山改め舟岡山 両面土偶 異形石冠 他人の妻妾を抱くベからず 安倍貞任の後裔 奥利根の石葺住宅址 浅見作兵衛氏の蔵品 第六四巻第一号 北海道日高国荷負発掘の鎧 北海道原始文化展覧会 発寒の環状石籬と古墳 第六四巻第二号 夷酋シャクシャインに関する異伝 稲田家の開墾事業 椚別金毘羅社 IV 著作目録 底本:『喜田貞吉著作集 第一四巻 六十年の回顧・日誌』平凡社 1982(昭和57)年11月25日 初版第1刷発行 入力:しだひろし 校正: xxxx年xx月xx日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http //www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。 2011.10.9:公開 玲瓏迷人。 2011.10.12:更新 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*4_13-庄内と日高見(二)喜田貞吉 2011.10.22 第四巻 第一三号 庄内と日高見(二) 喜田貞吉 出羽国分寺の位置に関する疑問 これは「ぬず」です 奥羽地方の方言、訛音 藤島の館址——本楯の館址 神矢田 夷浄福寺 庄内の一向宗禁止 庄内のラク町 庄内雑事 妻入の家 / 礫葺の屋根 / 共同井戸 / アバの魚売り / 竹細工 / カンジョ / マキ、マケ——ドス / 大山町の石敢当 / 手長・足長 / 飛島 / 羅漢岩 / 玳瑁(たいまい)の漂着 / 神功皇后伝説 / 花嫁御 桃生郡地方はいにしえの日高見の国 佳景山の寨址 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第四巻 第一三号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/169286) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (700KB) 定価:200円 p.175 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(111項目)p.564 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 アラブの大霊界! 週刊たんば茶* だいたい奥州をムツというのもミチの義で、本名ミチノク(陸奥)すなわちミチノオク(道奥)ノクニを略して、ミチノクニとなし、それを土音によってムツノクニと呼んだのが、ついに一般に認められる国名となったのだ。(略)近ごろはこのウ韻を多く使うことをもって、奥羽地方の方言、訛音だということで、小学校ではつとめて矯正する方針をとっているがために、子どもたちはよほど話がわかりやすくなったが、老人たちにはまだちょっと会話の交換に骨の折れる場合が少くない。しかしこのウ韻を多く使うことは、じつに奥羽ばかりではないのだ。山陰地方、特に出雲のごときは最もはなはだしい方で、「私さ雲すうふらたのおまれ、づうる、ぬづうる、三づうる、ぬすのはてから、ふがすのはてまで、ふくずりふっぱりきたものを」などは、ぜんぜん奥羽なまり丸出しの感がないではない。(略) また、遠く西南に離れた薩隅地方にも、やはり似た発音があって、大山公爵も土地では「ウ山ドン」となり、大園という地は「うゾン」とよばれている。なお歴史的に考えたならば、上方でも昔はやはりズーズー弁であったらしい。『古事記』や『万葉集』など、奈良朝ころの発音を調べてみると、大野がオホヌ、篠がシヌ、相模がサガム、多武の峰も田身(たむ)の峰であった。筑紫はチクシと発音しそうなものだが、今でもツクシと読んでいる。近江の竹生島のごときも、『延喜式』にはあきらかにツクブスマと仮名書きしてあるので、島ももとにはスマと呼んでいたのであったに相違ない。これはかつて奥州は南部の内藤湖南博士から、一本参られて閉口したことであった。してみればズーズー弁はもと奥羽や出雲の特有ではなく、言霊の幸わうわが国語の通有のものであって、交通の頻繁な中部地方では後世しだいになまってきて、それが失われた後になってまでも、奥羽や、山陰や、九州のはてのような、交通の少なかった僻遠地方には、まだ昔の正しいままの発音が遺っているのだと言ってよいのかもしれぬ。(略) 4_13.rm (朗読:RealMedia 形式 496KB、4'00'') milk_tea_4_13.html (html ソーステキスト版 208KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本:『喜田貞吉著作集 第一二巻 斉東史話・紀行文』平凡社 1980(昭和55)年8月25日 初版第1刷発行 初出:『社会史研究』第九巻第一、二号 1923(大正12)年1、2月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:212(日本史/東北地方) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc212.html NDC 分類:915(日本文学/日記.書簡.紀行) http //yozora.kazumi386.org/9/1/ndc915.html 難字、求めよ 凶狄 崇不敬 すうふけい? 道信 越の蝦夷の沙門。 礫葺 れきふき? 野田夷 呼び歩行いて ? 小島甲午郎 女師訓導。 進討 藤原宮房 浜田廉 〓 二高教授。 むしとりホイホイ 糠平 → 糟平 【糟か】 石時時代 → 石器時代 【器か】 避遠 → 僻遠 【僻か】 スリーパーズ日記 寒川旭『地震の日本史・増補版』(中公新書、2011.6)、萩野正昭『電子書籍奮戦記』(新潮社、2010.11)、谷口宏充(編)『中国東北部白頭山の10世紀巨大噴火とその歴史効果』(東北大学東北アジア研究センター、2004.3)読了。 アマゾンの金ドルにつづいて、28日にはレノボが7インチタブレット発売、12月にはサムソン GALAXY Tab 7インチがリニューアル。ソニー Reader もわるくないけれど、6インチはちっこい。 モニタの左半分に PDFの元画像を表示して、かつ右半分にテキストファイルを縦書き表示できると、どこでも校正ができる。工作員としてはこのうえない。10インチの高価なタブレットは、図書館へ持ち運びしたくない。机に置いたまま、席をはずすこともできない。 萩野さんの『奮戦記』を熟読。マイクロソフトからの買収持ちかけやら、パナソニックからの採用打診やら、あらてめて赤裸々に書いたものだなと感心。前半のボブ・スタインと、後半のブルースター・ケールとの交流にけっこうな分量をさいてある。 季刊雑誌『本とコンピュータ』の創刊が、96年9月の鳥取県米子『本の学校』を機にしていたことをはじめて知る。なるほど、そうつながるのか。やっぱり電子本は、地方発の分散出版をこそ指向してほしいし、きっとそうなる。 プログラミング担当の祝田さんのことが謎のままで、すっぽりと記述から抜けている。だからこの『奮戦記』は萩野さんの個人史ではあっても、ボイジャーの『奮戦記』というには不足だと思う。『本とコンピュータ』のことにしても、青空文庫や富田さんとのことにしてもまだまだ物語がありそう。 ところで『本コ』バックナンバー(PDF)を DVD 収録で出版希望しまーす。 10.23 トルコ東部、M7.2。ニュージーランド、M〓。 2011.10.25:公開 玲瓏迷人。 六地蔵、七人みさき、やつがしら。 霜降のタンポポとスズムシ、大文字草。 通貨スワップ。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook Gメン'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*3_15-倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉 2010.11.6 第三巻 第一五号 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 喜田貞吉 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第一五号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (560KB) 定価:200円 p.123 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.250 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright is public domain. 飛び出せ! 週刊ミルクティー* 考古界の重鎮高橋健自君逝(い)かれて、考古学会長三宅先生〔三宅米吉。〕の名をもって追悼の文をもとめられた。しかもまだ自分がその文に筆を染めぬ間にその三宅先生がまた突然逝かれた。本当に突然逝かれたのだった。青天の霹靂というのはまさにこれで、茫然自失これを久しうすということは、自分がこの訃報に接した時にまことに体験したところであった。 自分が三宅先生とご懇意を願うようになったのは、明治三十七、八年(一九〇四・一九〇五)戦役のさい、一緒に戦地見学に出かけた時であった。十数日間いわゆる同舟の好みを結び、あるいは冷たいアンペラの上に御同様南京虫を恐がらされたのであったが、その間にもあの沈黙そのもののごときお口から、ポツリポツリと識見の高邁なところをうけたまわるの機会を得て、その博覧強記と卓見とは心から敬服したことであった。今度考古学会から、先生のご研究を記念すべき論文を募集せられるというので、倭奴国および邪馬台国に関する小篇をあらわして、もって先生の学界における功績を追懐するの料とする。 史学界、考古学界における先生の遺された功績はすこぶる多い。しかしその中において、直接自分の研究にピンときたのは漢委奴国王の問題の解決であった。うけたまわってみればなんの不思議もないことで、それを心づかなかった方がかえって不思議なくらいであるが、そこがいわゆるコロンブスの卵で、それまで普通にそれを怡土国王のことと解して不思議としなかったのであった。さらに唐人らの輩にいたっては、それをもって邪馬台国のことなりとし、あるいはただちに倭国全体の称呼であるとまで誤解していたのだった。 3_15.rm (朗読:RealMedia 形式 440KB、3'35'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う 底本:『喜田貞吉著作集 第三巻 国史と仏教史』平凡社 1981(昭和56)年11月25日 初版第1刷発行 初出:『考古学雑誌』第6巻第2号 1915(大4)年10月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 底本:『喜田貞吉著作集 第三巻 国史と仏教史』平凡社 1981(昭和56)年11月25日 初版第1刷発行 初出:『考古学雑誌』第20巻第3号 1930(昭5)年3月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html 難字、求めよ 援照 所録 曩記 如淳 人名。魏の官人。 巨? 人名。 師古 顔師古(がん しこ)か。581-645 唐の学者。山東臨沂の人。 如墨 国名。 獲物 『釈記』 釈紀、釈日本紀(しゃくにほんぎ)か。 東治 東冶(とうや)か。 むしとりホイホイ 夷字 → 夷守 【守】 ヒナモリのこと。底本は左辺のとおり。現代表記版を右辺に変更。 スリーパーズ日記 インドネシア、ジャワ島ムラピ山、10月26日より断続噴火。 カムチャツカ半島、火山噴火。 隣家のさざんか。天童には他にもシュロ・孟宗竹のように暖地性の植物が多い。 五日、佐野洋子、死去。七二歳。 六日(土)晴れ。初肉まん、ピザまん。車窓から林檎の赤。県立博物館。記念講演会、原田昌幸「日本の土偶——世界の中の縄文ヴィーナス」。 2010.11.9:公開 限りなくクジラに近いファシズムが始まる。 目から鼻うんこ。PoorBook G3'69 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - すべての電子本は流出品である。 -- しだ (2010-11-09 11 58 04) 名前 コメント
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M-Tea*5_12-日本歴史物語〈上〉(一)喜田貞吉 2012.10.13 第五巻 第一二号 日本歴史物語〈上〉(一) 喜田貞吉 児童たちへ 一、万世一系の天皇陛下 二、日本民族(上) 三、日本民族(下) 四、天照大神 五、天の岩屋戸ごもり 六、八岐の大蛇退治 七、因幡の白兎 八、出雲の大社 九、天孫降臨と三種の神器 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一二号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/210224) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (940KB) 定価:200円 p.157 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(68項目)p.375 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. 着ぐるみ、ぱんだみっく! 週刊ねつぞー* (略)そこで天照大神は、いよいよ御孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)をこの国にお降しになって、これを安い国として平らかにお治めしめなさることになりましたが、それにはまずもって、大国主神の国をたてまつらしめなければなりません。これがために、三度まで使いをつかわしになりました。しかし、なにぶん大国主神の威勢がさかんなものですから、使いの神もその方へついてしまって帰ってまいりませんでした。最後に武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)とがお使いに立ちました。武甕槌神はのちに常陸の鹿島神宮に、また経津主神はのちに下総の香取神宮に、それぞれ軍神としておまつり申したほどの武勇すぐれた神々でありましたから、大国主神の威勢にもおそれず、よく利害をお説きになり、国を天孫にたてまつるようにとお諭しになりました。天孫とは瓊瓊杵尊の御事を申すのです。しかしこれは大国主神にとってはまことに重大な事件です。ご自身だけのお考えでは、おはからいかねになりました。そこでまずもって御子の事代主神(ことしろぬしのかみ)のご意見をお問いになりましたところが、このとき出雲の美保が崎で、魚を釣っておられました事代主神は、 「それはもちろん、大神のおおせにしたがいますよう」 と、いさぎよくご同意申し上げました。出雲の美保神社は、ここで釣りをしておられました縁故で、この事代主神をおまつりしてあるのです。 かく事代主神がご賛成申したので、大国主神も今はご異存もなく、久しく治めておられました国を天孫にさしあげましたが、事代主神の弟神の建御名方神(たけみなかたのかみ)は、たいそう元気のさかんな神でありましたから、なかなかそれを承知いたしません。 「それなら大神のお使いの神たちと、力競べをしてみよう」 と申しました。しかし建御名方神の力は、とても武甕槌神にかないっこはありません。とうとう信濃の諏訪まで逃げて行って、そこでおそれ入りました。今の諏訪神社は、その土地にこの神をおまつり申したのです。 大国主神は、いよいよその国をさしあげましたについて、杵築の宮にお引きこもりになりました。これは今の出雲の大社で、その御殿は天孫のご宮殿と同じようにお造り申したということであります。命(みこと)が大神の命を奉じて、いさぎよくその国を治めることを天孫におまかせ申しあげましたので、天孫の方からは、特別の尊敬をもってこれをご待遇なされましたわけなのです。(「八、出雲の大社」より) 5_12.rm (朗読:RealMedia 形式 504KB、4 04) milk_tea_5_12.html (html ソーステキスト版 228KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 日本画家、挿絵画家。本名、安並泰輔。埼玉県川越生まれ。時代風俗の考証に通じ、のち舞台装置家、新聞雑誌の挿絵画家として活躍、その繊細で鮮烈な描線のかもし出すエロチシズムで、広くファンを熱狂させた。挿絵は泉鏡花作『日本橋』、邦枝完二作『お伝地獄』など。(人名) ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、恩地孝四郎、小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 水がかり むしとりホイホイ 親《おや》があり。 → 親《おや》があり、 【、か】 鎌足《かまたり》だ。 → 鎌足《かまたり》だ、 【、か】 私《わたくし》の名《な》は手名椎《てなづち》、妻《つま》の名《な》は足名椎《あしなづち》 【この部分、筆者の誤認か】 以上3件。底本は左辺のとおり。 スリーパーズ日記* 新シリーズ、いよいよ問題の書、喜田貞吉『日本歴史物語〈上〉』に突入! 目次を一見してわかるとおり、天の岩屋戸、八岐の大蛇、因幡の白兎といった神話・伝説から話をおこしている。いくらなんでもそりゃないだろ、とつっこみたくなる。さらに序文を読むと、「大日本帝国の臣民」「万世一系の天皇陛下」といったことばが並ぶ。 そのはず、本書は一九二八年(昭和三)四月の発行。関東大震災から五年後。この年の六月四日に満洲で張作霖爆殺事件、三年後の一九三一年(昭和六)九月に満州事変がおこる。時代の雰囲気は、本文の端々(はしばし)にも現われている。 おそらく、悪名名高い“戦前の歴史教科書”に類するとみていい。神話の時代から話をおこしているのは、現代の感覚からは相当ずれている。けれども、この国の歴史を本気で語ろうとすれば天孫降臨のエピソードにふれないわけにはいかないし、オオクニヌシの国譲りと出雲への隠遁、三種の神器の由来も避けてとおれない、ということだろう。 問題ありまくりにも関わらずこの書を選んだのは、次号以後につづく「渡来人」や「蝦夷」に関する記述が豊富な点を評価したいため。児童向けの書き下ろしではあるが、喜田貞吉は一九三九年の没だから、彼の中~後期の著書に属する。 蛇足。三種の神器について。吉野裕子『蛇』と本書をつづけて読んだせいか、あることに思い至る。鏡や刀剣を神聖視する向きは、道教や山岳修験にも見られ、三種の神器との関連が示唆されている。鏡はとぐろを巻いた蛇、刀剣は長く伸びた蛇……もし、そう考えることが妥当ならば、三種の神器のうちの八咫鏡と天叢雲剣の二つは、いずれも蛇をなぞらえた器物ということになり、天皇の誕生と継承には蛇がまとわりついている、もしくは、天皇家は蛇によって守護されている、という想像が可能になる。 2日、大滝秀治、87歳。 13日、丸谷才一、87歳。 ろうど、ちゅーちゅーアイス。 結納論、ヒガンバナ。 事件はバックヤードでだんしんぐ~。 つるぱげ助産院。 2012.10.15:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 「NDC 分類:K210」に変更。移動先ページはまだなし。 -- しだ (2013-01-31 14 53 39) 名前 コメント
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本だな 週刊ミルクティー* 第2巻 第27号〜第44号 第2巻 第1号〜第26号 第1巻 第26号〜第52号 第1巻 第1号〜第25号 特集・収録内容 no.1 和田萬吉 竹取物語 no.2 島津久基 竹取物語小論 no.3 橘 純一 竹取物語の再検討(一) no.4 橘 純一 竹取物語の再検討(二)/紫式部・與謝野晶子訳『源氏物語』「絵合」 no.5 島津久基 昔物語と歌物語/古代・中世の「作り物語」/平安朝文学の弾力/散逸物語三つ(『国文学の新考察』) no.6 坪井正五郎 石器時代総論要領/コロボックル北海道に住みしなるべし/小熊秀雄 マナイタのばけた話/宮本百合子 親しく見聞したアイヌの生活/風に乗って来るコロポックル no.7 坪井正五郎 コロボックル風俗考(一〜三)/工藤梅次郎 シペ物語・カナメの跡 no.8 坪井正五郎 コロボックル風俗考(四〜六) no.9 坪井正五郎 コロボックル風俗考(七〜一〇) no.10 喜田貞吉 日本太古の民族について/日本民族概論/土蜘蛛種族論につきて no.11 喜田貞吉 東北民族研究序論/猪名部と佐伯部/吉野の国巣と国樔部 no.12 喜田貞吉 日高見国の研究 no.13 喜田貞吉 夷俘・俘囚の考 no.14 喜田貞吉 東人考 no.15 喜田貞吉 奥州における御館藤原氏 no.16 喜田貞吉 考古学と古代史 no.17 喜田貞吉 遺物・遺蹟と歴史研究/日本における史前時代の歴史研究について/奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について no.18 喜田貞吉 日本石器時代の終末期について/「あばた」も「えくぼ」、「えくぼ」も「あばた」——日本石器時代終末期—— no.19 喜田貞吉 本邦における一種の古代文明——銅鐸に関する管見——/銅鐸民族研究の一断片 no.20 喜田貞吉 「鐵」の字の古体と古代の文化/石上神宮の神宝七枝刀/八坂瓊之曲玉考 2010.3.19:テスト公開 2010.6.1:更新 しだひろし/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は、戦いからの卒業です。 カウンタ: - 65px ほど背表紙の下端をつめてみました。 -- しだ (2010-05-27 14 58 21) 名前 コメント
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MT*2_21-蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 2009.12.12 第二巻 第二一号 蝦夷とコロボックルとの異同を論ず 喜田貞吉 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第二巻 第二一号】 http //www.dl-market.com/product_info.php?products_id=47899 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。 (628KB) 定価:200円(税込) p.140 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(66項目)p.368 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。翻訳・朗読・転載は自由です。 (c) Copyright is public domain. 三次元立体視 飛び出せ!!週刊ミルクティー* オリジナル版 ミルクティー*現代表記版 (略)而して現に千島アイヌは堅穴[#「堅穴」は底本のまま]に住し、又、鳥居氏の調査によれば露西亞人の始めて來航せし當時、ガラス瓶を得て鏃を作りし形迹ありといふ。即ち所謂石器時代の状態にありしや明なり。且、千島アイヌはコロボツクルに關する口碑を傳へざる等の事實を綜合すれば、千島アイヌ即ちコロボツクルなるべき事は[#「千島アイヌ即ちコロボツクルなるべき事は」に白丸傍点]、小金井博士等先輩の已に唱導せる如く、何人も容易に首肯する所なるべし。(略) (略)しかして現に千島アイヌは竪穴(たてあな)に住し、また、鳥居氏の調査によればロシア人のはじめて来航せし当時、ガラス瓶(びん)を得て鏃(やじり)を作りし形跡ありという。すなわちいわゆる石器時代の状態にありしや明なり。かつ、千島アイヌはコロボックルに関する口碑を伝えざるなどの事実を総合すれば、千島アイヌすなわちコロボックルなるべきことは、小金井博士ら先輩のすでに唱導せるごとく、何人(なんぴと)も容易に首肯(しゅこう)するところなるべし。(略) されば、余輩は、他に有力なる反證なき限りは、本島アイヌも、もとは穴居の状態にありしものにして、甞ては石器をも使用し、所謂津輕蝦夷即ち日の本蝦夷なる千島アイヌの状態にありしものなりし事を信ぜんとす。彼等が進歩したる民族と觸接するに及んで、麁蝦夷即ち唐子蝦夷となり、更に熟蝦夷即ち渡り黨の状態となれりとせば、千島アイヌと本島アイヌ、即ち、蝦夷とコロボツクルとは、博徳が都加留蝦夷と麁蝦夷とを同一蝦夷中の別種として認めたると同じく、ただ、進歩の程度に於ける區別に過ぎざるべきなり。 されば、余輩は、他に有力なる反証なきかぎりは、本島アイヌも、もとは穴居の状態にありしものにして、かつては石器をも使用し、いわゆる津軽蝦夷すなわち日の本蝦夷なる千島アイヌの状態にありしものなりしことを信ぜんとす。彼らが進歩したる民族と触接するにおよんで、麁蝦夷(あらえみし)すなわち唐子(からこ)蝦夷となり、さらに熟蝦夷(にぎえみし)すなわち渡り党の状態となれりとせば、千島アイヌと本島アイヌ、すなわち、蝦夷とコロボックルとは、博徳が都加留(つがる)蝦夷と麁蝦夷(あらえみし)とを同一蝦夷中の別種として認めたると同じく、ただ、進歩の程度における区別にすぎざるべきなり。 2_21.rm (朗読:RealMedia 形式 296KB、2'24'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 底本:『歴史地理』第9巻第3号 日本歴史地理学会 1907(明治40)3月 NDC 分類:211(日本史/北海道地方) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndc211.html ※ ページ未登録。 2009.12.14:公開 2009.12.18:更新 21世紀タヌキ、目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_15-日本歴史物語〈上〉(四)喜田貞吉 2012.11.3 第五巻 第一五号 日本歴史物語〈上〉(四) 喜田貞吉 三十一、奈良の都(上) 三十二、奈良の都(下) 三十三、奈良朝仏教の隆盛(上) 三十四、奈良朝仏教の隆盛(下) 三十五、奈良時代の行きづまり 三十六、平安遷都 三十七、藤原氏の全盛(一) 三十八、藤原氏の全盛(二) 三十九、藤原氏の全盛(三) 四十、藤原氏の全盛(四) imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一五号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/213316) ※ クリックするとダウンサイトへジャンプします。 (1.4MB) 定価:200円 p.199 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(180項目)p.1116 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. すべての電子本は消耗品である。週刊くじらにほえろ♪ そんな勢いですから宇多天皇は、こう藤原氏ばかりにすべての政治をおまかせになりましては、ますますそのわがままがひどくなることをご心配になりまして、菅原道真をお引き上げになり、藤原氏の勢力をおさえようとなさいました。かくてつぎの帝(みかど)第五十九代醍醐(だいご)天皇の御代には、基経(もとつね)の子時平(ときひら)は左大臣、道真は右大臣というぐあいに、あいならんで政治にあずかることになりました。 しかしながら菅原氏はもと学者の家で、むかしから大臣になったことなどは一度もなかったのであります。されば、いかに天皇のご信任がお厚かったとは申せ、この藤原氏のさかんな時代に、そんな家から出た道真が大臣となって藤原氏とならぶということは、時平にとっては不平でたまりません。その他のものも、道真がその家柄の低いのにかかわらず出世があまりにひどかったので、自然それをねたむようになります。そんなしだいで道真は、のちに太宰府にうつされまして、せっかくの宇多天皇の御心も、かえって藤原氏の勢力をいっそう盛んならしめる結果となりました。 道真が退けられましてのちは、もはや藤原氏と張りあってその勢力を分かとうというほどのものもありません。これからのち藤原氏の人々は、ご幼少の天皇をお立て申しては自身摂政に任ぜられ、天皇がご成長あそばしますと関白に任ぜられるというふうに、おそれ多いことではありますが、天皇はただ尊く上にましますばかりで、政治はすべて藤原氏まかせというような、ひどい御ありさまになってしまいました。(「三十八、藤原氏の全盛(二)」より) 5_15.rm (朗読:RealMedia 形式 360KB、2 54) milk_tea_5_15.html (html ソーステキスト版 260KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、恩地孝四郎、小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 国分僧寺 こくぶん そうじ むしとりホイホイ 藤川 → 藤原 【原か】 スリーパーズ日記* 11.3(土)晴れのちくもり。天童、わくわくランド道の駅にて震災パネル展、ビデオ鑑賞。パンフ『忘れない。』国土交通省、東北地方整備局。路上に堆積した地震や津波のがれきをかたずけてルート確保することを「啓開」というらしい。切り開くこと。たぶん、軍事用語っぽい。 東北自動車道と国道4号を縦に、そこから沿岸地域へ横にのびる15本の国道を確保。さらに、沿岸沿いの国道45号・6号を縦に確保。「くしの歯作戦」。 パネルとパンフの最後に、「巨大地震の今後の可能性」として、過去の巨大地震の連動関係が明瞭にまとめてある。過去2000年間、M8以上の東日本太平洋側の巨大地震は869年、1611年、1896年、1933年の4つあって、その4つとも10年以内で首都圏直下型地震と連動。さらに4つのうち3つが18年以内で東海・南海・東南海地震と連動。 山形産の柿、1箱Sサイズ36個入りで1000円を購入。 2012.11.8:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント
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M-Tea*5_13-日本歴史物語〈上〉(二)喜田貞吉 2012.10.20 第五巻 第一三号 日本歴史物語〈上〉(二) 喜田貞吉 十、山幸彦と海幸彦 十一、金鵄(きんし)の光 十二、熊襲と蝦夷(一) 十三、熊襲と蝦夷(二) 十四、熊襲と蝦夷(三) 十五、熊襲と蝦夷(四) 十六、朝鮮半島諸国の服属 十七、外人の渡来と外国文化の輸入(一) 十八、外人の渡来と外国文化の輸入(二) 十九、外人の渡来と外国文化の輸入(三) 二十、外人の渡来と外国文化の輸入(四) imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第五巻 第一三号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/210225) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (940KB) 定価:200円 p.198 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(122項目)p.573 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. なんとなくエマニエル。週刊おきゅぱいだべ~* 今は帝国の一部となっている朝鮮半島にも、大昔にはたくさんの国がありました。その南のほうは馬韓・弁辰〔弁韓〕・秦韓〔辰韓〕の三つに分かれて、それを三韓と申しましたが、そのうちでも名のわかっているものが馬韓五十四国、これは半島の西南部に、弁辰十二国、秦韓十二国、これは半島の東南部に、三韓あわせて七十八か国ありました。またその北には高麗という強い国があり、そのほかにもまだ多くの国々がありまして、天孫降臨以前の日本内地と同じように、統一がなくておたがいに争うておりました。そのなかでも秦韓人は、シナの秦という時代に移住したシナ人の末で、その秦韓の中の新羅という国がだんだん強くなり、しだいに近所の国を併合します。また馬韓の中の百済という国もだんだん強くなって近所の国々を併合しまして、朝鮮半島には北に高麗、東南に新羅、西南に百済と、三つの強い国が鼎の足のように並んでいるというありさまとなりました。(「十六、朝鮮半島諸国の服属」より) シナ人でいちばん古く朝鮮半島に移住したのは、前に申した秦韓人で、これはシナでは秦という時代の人々だといわれておりますが、その後今から二〇〇〇年ばかり前、秦が滅んで漢の時代となり、その漢の武帝という偉い天子のときに朝鮮を伐って、さかんに漢人の移住がありました。 この人たちは、朝鮮半島の西北部にある大同江の付近、楽浪という所におもに住んでおりましたので、今にその地の古い墓の中から漢時代の文化を見るべき立派な品物がたくさん掘り出されまして、近ごろ日本の大学の学者たちが熱心にそれを研究しております。すなわち朝鮮には秦人と漢人と、同じシナ人でも時代が違い、しぜん文化も違った二通りの人たちが秦韓と楽浪とに移住していたのです。 その秦人のいた秦韓の地は、のちに新羅の国となったところですが、ここからはいちばん早く日本へ移住民がありました。天日槍(あめのひぼこ)のお話はそのことを語っているものであります。(「十七、外人の渡来と外国文化の輸入(一)」より) 5_13.rm (朗読:RealMedia 形式 496KB、4 00) milk_tea_5_13.html (html ソーステキスト版 228KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 日本画家、挿絵画家。本名、安並泰輔。埼玉県川越生まれ。時代風俗の考証に通じ、のち舞台装置家、新聞雑誌の挿絵画家として活躍、その繊細で鮮烈な描線のかもし出すエロチシズムで、広くファンを熱狂させた。挿絵は泉鏡花作『日本橋』、邦枝完二作『お伝地獄』など。(人名) ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、恩地孝四郎、小村雪岱、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会 1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス 1928(昭和3)年4月5日発行 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http //yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html 難字、求めよ 鏡谷 かがみのはざま → 鏡宿か。現、滋賀県竜王町。 大和平野 やまと へいや 大和盆地(奈良盆地)のことか。 兄猾 えうかし 兄磯城 えしき 弟磯城 おとしき 科野(しなの)の坂の神 越人 こしびと むかし北陸地方にいたもの。毛人ともいわれた蝦夷やアイヌと同じ系統の民族。素戔嗚尊が高志の八岐の大蛇を退治したという話は、出雲民族が前からいた越人すなわちアイヌ系統の民族に苦しめられていたこと、また後にそれを従えるようになったことを語ったものか。出雲の大国主神が越の沼河姫を妃とした話は、出雲民族がアイヌ系統の民族と争ったばかりでなく、一方では平和に親類づきあいをして、これを同じ仲間にしたことを語っているものと思われる。(喜田貞吉、本文) 秦韓人 しんかんじん 秦時代に移住したシナ人の末。シナ人でいちばん古く朝鮮半島に移住。のちに新羅の国となる。いちばん早く日本へ移住民があった。ここから天日槍が生まれる。神功皇后は母方が天日槍の後裔。天日槍が大国主神とたびたび戦争したという話は、新しく渡ってきた秦韓民族と、前から日本の土地にいた出雲民族とが勢力争いをしたことを語っている。銅鐸は秦韓人の残したものか。(喜田貞吉、本文) むしとりホイホイ スリーパーズ日記* 鉄腕アトム……10万馬力の原子力モーター。 ゴジラ……水爆実験で発生した放射性物質を浴び怪獣化。 宇宙戦艦ヤマト……放射能汚染された地球。波動エンジン。 ガンダム……核分裂エネルギーによる核動力(原子力)。 未来少年コナン、三角塔……原子炉。 ルパン三世、死の翼アルバトロス……原爆の製造プラント。 巨神兵……プロトンビーム、生物に有害な「毒の光」。 沈黙の艦隊……原子力潜水艦。 赤坂憲雄・小熊英二(編)『「辺境」からはじまる東京/東北論』(明石書店、2012.5)途中まで。以下、第3章、本多創史「再帰する優性思想」からのメモ。 (p.97) 放射線への恐怖が人々の判断能力を一時的に宙づり状態におき、同じ発言同じ内容が思想信条を問わずなされているように見える。ごく少数の例外もあろうが表には見えない。 (p.100)「分かっていることと、分かっていないことがある。分かっていないことに分かっている顔をしないようにしよう。分かっていないことに対しては、最大限弱い立場の人の側に立つこと」ーー水俣病の教訓、水俣病シンポジウム・パネリストより。 (p.115) では、「子どもが不幸で、不便で、大変だ」と述べるとき、それは誰にとって不幸、不便、大変なのか。親であり、周囲の人間であり、「社会」である。(略)しかも周囲の人間の負担や迷惑の原因は、本人の障害にあるのではなく社会の編成やまなざしにあることは、障害学が繰り返し論じてきたことである。 なんとなくエマニエル。 たった独りのおきゅぱい。 裏声でクリスタル。 おきゅぱいにリコメン。 おきゅぱいバレー。 ワカパイにおきゅぱい。 すかぽんたん、おきゅぱいだべ~、ポチっとな。 おきゅぱいはオスプレッソでだんしんぐー。 好きリスト、うわさのCCガール、唯腸論(ゆいちょーろん)。 2012.10.21:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - html ソーステキスト版の添付忘れをつけなおしました。 -- しだ (2012-11-30 15 51 55) 名前 コメント
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DL-MARKET 被災地支援チャリティー終了のおしらせ DL-MARKET 被災地支援チャリティーは2011年6月30日にて終了、7月5日に日本赤十字社あてに振込が完了とのことです。ご協力、ありがとうございました。 リンク先をチャリティー用から、通常購入用へ変更します。 2011.8.2:追記 電子本を読んで、被災地を支援しよう! 一日一偽善! DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品 M-Tea*3_46-上代肉食考/青屋考 喜田貞吉 2011.6.11 第三巻 第四六号 上代肉食考 一 神道と肉食禁忌の事実 二 肉食のわが古俗 三 神祇と犠牲 四 供御(くご)と獣肉 五 仏法の流行と殺生・肉食の禁忌 六 肉食を穢(けが)れとするの風習 七 狩猟・漁業と肉食 八 エタと肉食 青屋考 一 青屋(あおや)はエタの下との思想 二 青屋はエタの徒との説 三 青屋の特に賤(いや)しまれた理由 四 京都における旧時の青屋の待遇 五 青屋大工、青屋筋 六 結論 七 付言二則 喜田貞吉 imageプラグインエラー 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 【週刊ミルクティー*第三巻 第四六号】 (http //www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/144328) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (668KB) 定価:200円 p.201 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(92項目)p.479 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. はみだせ! 週刊ペテンだっく* (略)そのはばかりの程度は神社により、また時代によって相違があったようだが、ともかく肉は穢れあるものとして、これを犯したものは神に近づくことができず、これに合火(あいび)したもの、合火したものに合火のものまでも、またその穢れあるものとしておったのである。(略) 右のしだいであったから、自分らのごときも子どもの時分には、決して獣肉を食ったことはなかった。かつて村人の猪肉・兎肉を食べているものを見て、子供心に、よくこの人らには神罰があたらぬものだと思ったこともあった。これらの人々の遁辞(とんじ)には、イノシシは山鯨で魚の仲間、兎は鴉鷺(あろ)で鳥の仲間だとあって、これだけは食べてもよいのだとすすめられたけれども、ついに食べる気にはなれなかった。しかるに郷里の中学校へ入学して、寄宿舎に入ったところが、賄い方はしばしば夕食の膳に牛肉をつけてくれた。上級生も平気でそれを食っている。こわごわながら人並みに箸を採ってみると、かつて経験したことのない美味を感じた。いつしか牛肉随喜党となり、はては友達の下宿へ行って、ひそかに近郷のある部落から売りにくる牛肉を買って、すき焼きの味をもおぼえるようになった。時は明治十七、八年(一八八四、一八八五)ころで、諸物価も安かったが、牛肉の需要が少なかったために、百目四、五銭で買えたと記憶する。かようなしだいで、おいおい大胆になっては来たが、それでもまだ家庭へ帰っては、牛肉の香りをかいだこともないような顔をしていた。これは自分の家庭が特に物堅いためで、去る大正三年(一九一四)に八十三歳で没した父のごときは、おそらく一生涯、牛肉の味を知らなかったようであるし、今なお健在の母も、たぶんまだこれを口にしたことはなかろうと思われるほどであるから、自分のこの一家庭の事情をもって、もとより広い世間を推すわけにはいかぬが、少なくも維新前後までの一般の気分は、たいていそんなものであった。したがって肉食を忌まなかった旧時のエタが、人間でないかのごとく思われたのにも無理はないが、しかしかくのごときものが、はたしてわが固有の習俗であったであろうか。 3_46.rm (朗読:RealMedia 形式 492KB、3'59'') milk_tea_3_46.html (html ソーステキスト版 288KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 底本 上代肉食考 青屋考 底本:『喜田貞吉著作集 第一〇巻 部落問題と社会史』平凡社 1982(昭和57)年6月25日初版第1刷発行 初出:『民族と歴史』第2巻第1号 1919(大正8)年7月 http //www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:383(風俗習慣.民俗学.民族学/衣食住の習俗) http //yozora.kazumi386.org/3/8/ndc383.html 難字、求めよ 余司 謡曲「剣珠」 機槍 血穢 けつえ? 明制 阿波の勝瑞の時 真生根 べいしゅ 薩婆多論 寂照和尚 著『寂照堂谷響集』。 碓井小三郎 手閊 てづかえ? 下分者 心に染まず 摂津猪名 大阪の東猪飼津 年表 六四二(皇極天皇元) 祝部の教えによって、村々の民が牛馬を殺して、諸社の神をまつる(『日本紀』)。 六七五(天武天皇四) 檻穽・機槍のたぐいをもって獣を捕るような、ひどい狩獲法を禁じ、また牛・馬・犬・猿・鶏のごとき、人に馴れ、もしくは人に近い動物の肉を食うことを禁じる。 六七六(天武天皇五)八月 諸国に詔して放生。天皇自身なおしばしば遊猟。 六八九(持統天皇三) 摂津武庫の沿海、紀伊の有田郡那耆野、伊賀の伊賀郡内野の漁猟を差し止める。 七二一(養老五) 放鷹司の鷹・狗、大膳職の??、諸国の鶏・猪をことごとく放つ。 七三二(天平四) 畜猪四十頭を山野に放ち、生命を遂げしむ。 七四一(天平一三) 詔「馬牛は人にかわりて勤労し、人を養う。これによって先に明制あり、屠殺を許さず。今聞く、国郡いまだ禁止するあたわず、百姓なお屠殺ありと。よろしくその犯すあらば、蔭贖を問わず、まず杖一百に決し、しかる後に罪を科すべし」。 七五八(天平宝字二)七月 光明皇太后の病気に際して、諸国に令してその年内殺生を禁じ、また猪鹿の類をもってながく進御するを得ずとの詔。 七九一(延暦一〇)九月 伊勢・尾張・近江・美濃・若狭・越前・紀伊などの諸国に、牛を殺して漢神をまつる風を厳禁とする。 八〇一(延暦二〇)四月 越前に牛を殺して漢神をまつるを禁じる。 八四一(承和八) 大和春日の神山で狩猟を禁じる。 八四四(承和一一) 神社より解文をたてまつる。 八四四(承和一一) 賀茂にて禁制。 八八四(元慶八) 賀茂にてさらにその禁を重ねる。犯したものは五位以上は名を取って奏聞し、六位以下は身をとらえて法によって処分せよとある。 九一一(延喜一一)一二月二〇日 「太政官符」(『侍中群要』引)、近江国から鹿や猪の宍を御贄としてたてまつらしめる。 一一五九(平治元)一二月 平治の乱。藤原通憲(信西)対藤原信頼、平清盛対源義朝の勢力争いが原因で、信頼は義朝と、通憲は清盛と組んで戦ったが、源氏は平氏に破れ、信頼は斬罪、義朝は尾張で長田忠致に殺された。 一一八〇(治承四) 頼朝から御判物によって許されたというエタ配下の賤者を列挙したいわゆる二十八座の中に、青屋あるいは紺屋という名が見える。(『弾左衛門由緒書』) 一五九六〜一六一五(慶長)ころ すでにエタが青屋を己が下だと主張。 一六〇八(慶長一三) 藤堂高虎の法度に、猪・鹿・牛・犬、いっさい食申間敷事とある。 一六二四〜一六四四(寛永) 刻本『料理物語』に、狸汁・鹿汁・狸でんがく・猪汁・兎汁・兎いりやき・川獺かい焼・同吸物・熊の吸物・同でんがく・犬の吸物・同かい焼などの項目。 一六六七(寛文七)四月 青屋大工頭六左衛門、町奉行雨森対馬守に願って、御拝借金十両を得る。 一六八九(元禄二) 寂照和尚『〔寂照堂〕谷響集』出板。 一六九八(元禄一一) 高瀬川筋松原上ル西木屋町松葉屋清五郎家来長蔵なる者が、主人の伜を殺して、また高倉松原上ル町駕籠かき市兵衛なる者がなんらかの罪によって、同じ日に粟田口で鋸挽の刑に処せられる。 一七〇一(元禄一四)一二月 六左衛門、ふたたび嘆願書を提出。 一七〇八(宝永五) 下村文六、死去。 一七一〇(宝永七) 天部・六条などの年寄から方内五十嵐へ提出した調査書。二条城掃除人足一か年三七二四人を出したの中に、エタ村京都付近十八か村、そのほか山城八か村、摂州十三か村、江州十三か村をあわせて、二七二四人の人夫を出したのに対して、洛中洛外の青屋二三二軒からは、じつに一千人という多数の夫役を負担。(下村文六の帳面) 一七一五(正徳五) 六条村が五条橋下中島の旧地、すなわちもとの六条村から、今の柳原七条郷の地に移転するについて、諸方より大工が多く入り込む。 一七一六〜一七三六(享保) 「弾左衛門書上」。 一七一七(享保二) 改定「穢多青屋勤方之事」『京都御役所向大概覚書』。 一七二一(享保六) 留書。 一八八四、一八八五(明治一七、八)ころ 牛肉百目、四、五銭で買えたと記憶。 一九一四(大正三) 喜田の父、八三歳で没。 スリーパーズ日記 4日、チリ南部で火山噴火。8日、NHKニュース、東北大研究グループ、本震2日前(3月9日)からゆっくり海底沈下していたことを確認。1日数センチ。13日、11 20ごろニュージーランド、M6.0。 羽生善治『決断力』(角川書店、2005.7)読了。玲瓏……周囲を見渡せる状況。同時に、そういう心の状況を表す言葉でもあり、いつも透き通った心静かな気持ち。克己復礼……「己に克(か)ちて礼を復(ふ)むを仁と為(な)す」。私欲にうち勝ち、礼儀をふみ行うようにすること(『広辞苑』より)。勝負に一番影響をするのは「怒」の感情。日頃気にかけているのは勝負の結果を次の日に引きずらないこと。対局が終わったら、その日のうちに勝因・敗因の結論を出す。決断力、構想力、大局観。はぁ、無縁のものばかり……。 瀧本浩一『地域防災とまちづくり』(イマジン出版、2008.5)読了。災害図上訓練(DIG)に関するテキストを探してようやく一冊見つける。誤植多し。クセあるも示唆に富む。disaster(災害)=dis(見えない) aster(星)、星が見えない、星が隠れて見えなくてどこに向かえばいいのかわからない状態。なるほど。 2011.6.14:公開 八面玲瓏。 2011.8.2:更新 きらきらむし。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ: - 名前 コメント